みーの医学

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解剖学の歴史と表記揺れ

解剖学の歴史は古く,日本に輸入されたのは江戸時代と言われています.人体解剖図の訳書である「和蘭全躯内外分合図」*1は1772年(明和9年)に出版されました.その2年後にはドイツの医師クルムスの解剖書"AnatomischeTabel-in"のオランダ語訳書の日本語訳書である「解体新書」が発表されました*2

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200年以上前の本ですから,当然全て漢字とカタカナで表記されています.解剖学の用語はこの時代に訳されて専門用語として定着しています.現在の日本語とは少なからず文字の使い方が異なります.

読み方の違い

「窩」とは,くぼみを意味します.「カ」と読みます.腋窩(エキカ)や眼窩(ガンカ)などと用い,それぞれ,脇の下のくぼみ,眼のくぼみのことです.この漢字は解剖学以外で使われることは滅多にありません.したがって,解剖学を勉強する人と,漢字検定1級を受験する人以外は知らなくてよい漢字です*4

「楔」は,訓読みで「くさび」と読みます.しかし,解剖学の音読みでは「ケツ」と読みます.内側楔状骨(ケツジョウコツ)などで用いられます.なお,循環器学では,「セツ」と読み,肺動脈楔入圧(セツニュウアツ)などに用いられます.分野によって異なる音読みが2個存在するので,さすがに辛いです.

漢字の違い

「異体字」とは,標準の字体とは異なるが,意味・発音が同じで,通用する漢字のことです*5.意味と発音が同じなのに,別の形の漢字が存在するわけで,学習者にとって迷惑千万な話です.

「鼡」と「鼠」は異体字です*6.両方とも「ソ」と読みます.

「靱」と「靭」も異体字です.ほとんど同じですが,よく見ると異なります.両方とも「ジン」と読みます.

このため,「鼠径靭帯」と「鼡径靱帯」は見た目が異なりますが,全く同じ用語です.現時点ではいずれの表記も誤りではないので,しばらくは表記が統一されることはなさそうです.また,1個の用語に異体字が存在する漢字が2個用いられているので,4通りの組み合わせがあります.勘弁して欲しいです.

表記揺れの問題

これらの現象は,漢字が長い年月をかけて変化してきた歴史の中で生じたものです.歴史が楽しい人には趣があるように感じされるのかもしれませんが,日常使いにはとても不便です.例えば「鼡径靭帯」と「鼠径靭帯」で表記が揺れていると検索の難易度が上がります.何らかの法則に則り,扱いやすくして欲しいと思いました.

医学分野の用語の表記揺れについて,「医学用語を適切に指導するための手引き」*7に色々な事項が列挙されています.一部の分野では表記揺れを解消しようという試みもあるようですが,過去の文献が修正されることはないので,根本的な解決方法はなさそうです.今後も表記揺れと付き合わなければならないわけです.

*1:...蘭書を長崎本木了意翻訳し周防鈴木宗云撰次して刊行したるもの。 和蘭全躯内外分合図験号/和蘭全躯内外分合図 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ

*2:解体新書 文化遺産オンライン

*3:和蘭全躯内外分合図及験号 1巻附1巻 京都大学附属図書館 より転載 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00001397

*4:漢字ペディア 窩 | 漢字一字 | 漢字ペディア

*5:デジタル大辞泉 より

*6:「鼡」の画数・部首・書き順・読み方・意味まとめ | モジナビ

*7:愛知県立大学看護学部紀要 Vol. 25, 1-11, 2019 https://core.ac.uk/download/pdf/322513122.pdf